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	<title>IKIMONO net club</title>
	<link>http://www.ikimono.org/diary</link>
	<description>IKIMONO DIARY</description>
	<lastBuildDate>Tue, 02 Mar 2010 14:33:15 +0900</lastBuildDate>
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		<title>バンパイアのキュレーター</title>
		<description>乗り換え駅の通路でポスターを目にして、思った。
「いや、それを昔と言われては…」
川崎市民ミュージアムでやっている昔のくらし・今のくらし２０１０−くらしの道具のうつりかわり−という毎年恒例の企画展らしい。
館長のブログの「昔のくらし　今のくらし」が始まりました。学校給食もぜひどうぞ。という記事に、再現された昔のくらしの様子が一部載っているが、実のところ私自身は幼い頃、実際に自分の家の中にこれらのものがあったり、あるいはそこまでではなくてもほぼこのままの雰囲気の祖父母の家を夏休みに訪ねたりして暮らしていたものだった。
まあつまり、今の小学生くらいから見た場合、私の子供時代はもうある種「歴史」の範疇になるほど、私が歳をとったということだ。
やれやれ。
冗談で、バンパイアになって数百年くらい生きてみたいと思うことが時々ある。
いろいろ面白いだろうと思うのだが、この空想には、実は何をしながら暮らしていることになるのか具体的に思い浮かべるのがちょっと難しい、というささやかな問題があった。
昔のくらしの展示を企画することが仕事にできるなら、キュレーターになって自分が生きてきた100年前、200年前の生活を詳細かついきいきと再現するというのも面白い、とちょっと思った。
これで本当にバンパイアをやることになっても、なんとかなる。 </description>
		<link>http://www.ikimono.org/diary/archives/595</link>
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		<title>ハイダイナミックレンジ合成とか、ピントとか、ビジョンとか</title>
		<description>最近何かにとりつかれたようにずっとtumblrにFlickrなどで見かけた風景写真をクリップし続けているけれど、そんな写真で使われることが多くなってきているのがHDR。
ハイダイナミックレンジ合成（Wikipedia）。
素直に使われていれば確かに綺麗で隅々まで見やすい写真なんだけれど、どう考えても悪夢だな、というものもある。
プロが使っている場合は多分（全くの想像だけれど）そんなことにはならないんだろうけれど、素人はやりすぎになりがち。自分自身がHDRで生まれてくる独特の輝きに興奮してしまって無意味に、無目的にエフェクトをかけ過ぎているだけとしか受け取れないものが山のようにある。


写真を沢山見続けていると、それ以外にも色々なことがなんとなく分かってくる。
構図には案外独創性がなく似たような、おそらくはどこかで見かけたすぐれた写真の構図を半ば無意識に真似たようなものがとても多いこと。
あともうちょっとでいい写真になるのになぁ、というものの多くは、思い切ってフレームの外に切り捨ててしまった方が良かったものが入り込んでいる。余計な何かが写っているという意味ではなく、要はもっと「寄って」しまうべきだったということ。
そして、ピントが甘い。
そういった諸々を総合してちょっと意地悪く言ってしまうと、素人がものにするいい写真のほとんどはおそらくチャンスと素材に偶然めぐり合った結果に過ぎない。


まあそういうことが分かっていたとしても、自分で写真を撮影してもやっぱりダメな写真しか撮れないと思う。
目が悪すぎて、ファインダーを覗いている時に狙ったものに本当にピントが合っているのかどうかどうしても確信をもてない、という現実的な問題もある。これはまだ高校生だった頃、新聞記者だった父親のそれなりにいいカメラを借りて少し撮影をした時にすでに、常に感じていたことだった。
訓練を積めば、自分の悪い視力でどんな感じに見えている瞬間が「実はピントが合っている」のかということが経験則で分かってくるという可能性はあったと思うが、今となってはもうそこまでする気力も、多分無い。
それよりも、高いレベルの写真を撮り続ける人は、実は自分の中に何らかのビジョンがあって、毎日、毎時、撮影するに値する素材をずっと探し続けている。なにか素敵なものがあったから撮影するという、ごく当たり前のように見えて偶然任せなことは実はしておらず、ずっと意識的に探し続けているのだ。
これが何か変なことだと感ずる人もいるかもしれないが、たとえばある種の好みが自分の中にある程度出来上がっていてその好みに合うものを常に探して本屋のコミックスコーナーに毎日のように立ち寄る、というようなことは、よくある。写真を撮影するというのも似たようなものだろうと思う。
自分にとって世界はこう見える、というような好みのビジョンが存在していて、よい写真を撮る人は実はそれを撮っているのだろうと思う。
私は、そこまでにはおそらく決してなれない。
ただ他人の成果物の中から自分のビジョンの欠片を拾い上げるだけだ。
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		<link>http://www.ikimono.org/diary/archives/594</link>
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		<title>SFガジェットの夢 iPhone</title>
		<description>iPhoneアプリのsleep cycle、面白い。
→　sleep cycleのリアルタイム結果（Twitter）
こういう風にiPhoneが使えるのは実に興味深い。これは昔のSFに描かれていた夢とかをなんとなく思い出させるものがあるなぁ…と漠然と思いながらニヤニヤしていた。
SFのアイディアそのものというより、SFの中に出てくるガジェットそのものだよな、たとえば医療器具にさえなってしまうスタートレックのアレとか…などとさらに思っていた時、なんだか急にiPhone人気の理由が腑に落ちた。腑に落ちたような気がした、個人的には。
iPhoneは昔のSFガジェットの夢が実現されたものだな、まさにそのまま。しかもAppleがいいデザインで出したからますますそれっぽくなった。電話としては今ひとつ使いにくくないですか？ とか、実はiPod nanoで十分なんじゃないですか？ とか、そういうところを乗り越えてなおかつやっぱりiPhoneなんだというのは、結局ガジェット愛なんだろう。
私が未だにiPhoneユーザーではないのも、それ故なのかも。SFファンではあっても実はそれほどガジェットには萌えないんだよね。
まあ…どうでも駄文だけどね。 </description>
		<link>http://www.ikimono.org/diary/archives/591</link>
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		<title>本と本屋さんの夕日</title>
		<description>永江朗さんの「本と本屋さんの夕日」の連載が終わった。（第一回は「平成生まれでもよくわかる現代出版文化論講座開講！ -- 2009/04/17 -- 本と本屋さんの夕日 」）。いろいろと勉強になることもあったし「そこへ突っ込むか？」とちょっと疑問に思った回もあったりしたが、それにしてもやっぱり永江さんはプロだな、と終始思いながら読んだ。
永江朗さんは私と同じ1958年生まれの上に同じ北海道出身なので、なんとなく勝手に比較して「永江さんはがんばっているのにオイラのていたらくはどうだろうねぇ…」などと思って落ち込むこともある。今年は特に偶然同じ誌面に連載を持っていたのでとりあえず毎月自分の原稿を読み返して反省する時に、一緒に永江さんの文章も読んでさらに落ち込むということをやっていたりした。微妙に論旨がかぶるような発言をしていることもあってひとり苦笑したりもした。永江さんは言うまでもなく私より圧倒的に長い期間、しかもプロとして（それで実際に生活をするという意味でプロで）ライターをやっているわけでそもそも比較してみること自体がおこがましいが。
自分の出版業界内での知名度や影響力にはまったく幻想を持っていない（つまり、ほとんど知られていないし、発言が影響力を持つことはさらにない）が、それでもそろそろ思いがけないところで「セミナーに参加しました」という人や「本を読みました」という人に出会うようになった。まったく関係がない（はずの）仕事で話したりメールのやり取りをしたりしていて、いきなり相手からそういう話題を持ち出されるとちょっとぎょっとしたりする。実際毎回数十人の参加者を前に偉そうに語ったり実技指導したりしているのだし、かなりしばしば自分が少なくとも一冊の本の著者であるということを忘れていたりするにしても、それなりに自分が何年かやってきたことの責任というものがあるわけで本気でぎょっとしたりしている場合ではないのだが、どうも自覚が足りない。
…そして、来年はがんばりますという話に続いていくとなんだか年末の投稿としてもっともらしくていいのだけれど、なんだか今そもそもこの記事の始めの方に書いた「同じ1958年生まれ（…）なので」という発言自体にほとんど意味がないな、と思い始めて苦笑しているところなのである。
1958年生まれといえばたとえばマイケル・ジャクソンがそうだし、ティム＝バートンもマドンナもそうで、そんな人々と同じ年に生まれたからといってそれ自体に何の意味が？ 自分ができることを精一杯やって、評価は他人に委ねるしかないでしょう。うん。 </description>
		<link>http://www.ikimono.org/diary/archives/590</link>
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		<title>Feedly, FriendFeed, Twitter</title>
		<description>最近は大体この三つだけで済ませている。本当は使用頻度の順番は逆なんだけれど、Twitterが頭に来るようではタイトルとしては面白くも何ともないのであえてマイナーな方から並べた。
Feedly - 良くできたスキン
Feedlyは誤解されることを承知で言ってしまえば、Google Reader の良くできたスキンあるいはテーマ機能だ。feedly: a magazine-like start page とうたっているが、まあ個人的な意見としてはmagazineと言えるほどのレベルではない。ただ、大量のRSSをかなり見やすくレイアウトしてくれるし、操作も比較的直感的でストレスが少ない。Google Reader自体もショートカットキーを指に覚えさせてしまえば操作は非常に楽だけれど、feedly程見やすい画面ではない。
既読・未読、スター、共有などは全てGoogle Readerと同期するし、feedly上であらたにRSSの購読を追加すればそれも反映される。
feedlyは実際にはGoogle Readerのための良くできたスキンだというだけではない。初期設定から変更していなければ、ブラウザで検索をするたびにTwitterやFriendFeedから検索した結果を画面右下にオーバーレイする小窓に示してくれたりもする。
まあ、悪くない。
でも実のところ私は使っていない。私にとってはやはり、比較的良くできたGoogle Readerのスキンだというだけだ、今のところ。

FriendFeed - フィルタリングして使う
FriendFeedについてはすでに一度書いた。その後変化があったことだけを書いておく。
今でもTwitterでフォローしたアカウントは全部FriendFeedにも登録している。FriendFeedにアカウントを持っている人であればそれを、なければTwitterと（あれば）ブログなどをまとめて登録する。しかし今は、そのように準備を整えた上で、Twitterからの発言は全て非表示にして使っている。FriendFeedをTwitterクライアントとしては結局は使っていない（常時見ているものとしても、投稿する窓口としても結局は常用していない）ので、ここではTwitterに流れてくる以外の情報だけを抽出して表示させているということだ。
それならば最初からTwitterアカウントは登録しなければいいようにも思うが、FriendFeedのアカウントを持っている人を購読した場合にはほぼ100％Twitterアカウントがセットになっているという現実的な問題もあるし、それに、いざという時にはいつでもTwitterの代替になれるという面もないでもない。
フィルタリングの操作そのものは簡単で、任意のTwitterからの記事を「非表示」にし、「同じタイプのアイテムを非表示にする」を選び、「全ユーザーの Twitter のエントリーを非表示にする」の方を選び直すだけでいい。これで、興味をもって追っているユーザーのブログ、delicious、Tumblrその他とにかくそのユーザーが登録しているTwitter以外のサービスからのエントリーだけが見える状態になる。

Twitter - TwittSevenを使う
ここしばらく使っていてわりと気に入っているGreasemonkey スクリプトがこのTwittSeven。
この手のモノではお約束のRTリンクを加える機能もあるが、まあ私自身はほとんどRTをすることはないのであってもなくても不満はない。
自動更新、短縮URLを伸張して見せる機能、画像を小窓でポップアップ、などはどれも普通だし、未読・既読管理が出来たり、誰かの返信投稿のリンクにカーソルを載せると返信の元になった投稿内容その物をポップアップに呼び出して見せてくれる機能など、便利ではあるけれどとび抜けてすごい機能満載というわけではない。ただなんだか機能の組み合わせのバランスがいいし、動作が重くなりすぎることもない。
「すごく便利」というものではなく「そこそこ便利という程度だけれどなんだか使っていてストレスがない」というあたりが、私個人が求めていたものにかなり近かったらしい。これを使い始めてからいわゆるTwitterクライアントをほとんど使わなくなった。Twitter本家サイトをこのTwittSevenを有効にしてタブのひとつに開きっぱなしにしておく、というだけで特に不満を感じなくなってしまったのだ。
複数カラムでグループ分けできるクライアントなどを次から次へとさがしては試していたはずなのだが、じゃあ自分が本当に求めていたのはそういうことではなかったということなのか？ とちょっと拍子抜けしたりもしている。 </description>
		<link>http://www.ikimono.org/diary/archives/589</link>
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		<title>ある先輩への手紙</title>
		<description>　昨年お会いしたとき、相変わらず力強い、若々しいご様子でしたので、定年退職のお知らせをいただきとても驚きました。確かに頭は随分白くなっておられましたが、まさかそんな歳になっておられるとは思いもしませんでした。
　しかし思えば私も老眼にちょっと疲れを覚える五十代。先輩も私も、同じく歳をとったわけですね。

　 大きな体を大股に運んで現れては何事も断言するように話し、しかし営業のお手本のように腰は低い。その独特のノリは今も忘れません。
　断言口調の背後に何かちゃんとした根拠があるのかどうかなどと、僭越にも思う時もありましたが、今思えば「それはよい」と断言してもらったおかげで、頭でっかちなくせに経験も勉強も足りない、内心不安をかかえた若い店長にすぎなかった私は、随分励まされたのでしょう。 
　励まされました、ではなく、のでしょう、と言うのは少しおかしい。
　ええ、そうですね。
　正直なところ毎日のようにお会いしていた頃はそんなことは思っていませんでした。
　しかし昨年久しぶりにお会いして私が今どんなことに関わっているかお話しした時、まさに断言口調で「いいね。これからはそうでなくちゃいけない」と言って下さいました。その時、何か温かいものが胸の奥から沸き上がり、一瞬絶句してしまいました。私の中にどれだけその声、身振り、口調が大切な思い出としてしまい込まれていたか、その時初めて分かりました。 
　あの短時間で、私が関わっていることの全てをじゅうぶんに理解していただけたとは思えません。それでも、そんなことには関係なく、断言していただいたというそのこと自体が、貴重なのだと思いました。

　お仕事で悩んでおられた時期や、不満を感じておられた時期があったことも、失礼ながら、感じ取れることがありました。そんな時、いつも通りの断言口調はほんの少しうつろで、ほんの少し必要以上に大声でした。
　でも、結局は一度もそのスタイルを変えることはありませんでした。変えないでやり続けていくことは本当はとても大変だったろうと思いますが、私のようにその変わらない姿の思い出こそが今や貴重なものとなっている人も、きっと沢山いることでしょう。
　そのことにこそ、お礼を申し上げたいと思います。
　ありがとうございました。

　どうぞお体に気をつけて、これからの人生を楽しんでください。 </description>
		<link>http://www.ikimono.org/diary/archives/588</link>
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		<title>FriendFeedはなかなかいいよ</title>
		<description>FriendFeedがFacebookに買収されることが公表された日に上げるエントリとしてはなんとなくまぬけ感が漂うけれど、数日前から少しずつ書いてきたので、とりあえずこの辺で一旦出すことにする。
FriendFeedついてはこれまで「便利だけれどそれを直に使う気にはなかなかならない」などと何度か書いてきた。しかし最近、いくつかのことがきっかけで積極的にFriendFeedを使うようになった。まあ、言ってみれば態度が豹変したわけ。
最初は自分のウェブ上の行動が全部一カ所にまとめられる、そしてそれをまとめてはき出せる、というのが便利だな、としか思っていなかった。特に日本ではまだTwitterアカウントは持っていてもFriendFeedアカウントは持っていない人も多く、FriendFeed内でフォローする人を見つけるのも結構難しい、という状況だったし。（もっと言ってしまえばTwitter普及がまだ「おやあの人もやっと始めたのね」という段階なんだからFriendFeedにまで波及してくるはずもない）。
Imaginary friends機能

しかし、ある日FriendFeedにはImaginary friendsという機能があることに気付いた。（メニューを、「友達を表示/編集」から入り、友達一覧の画面の下に設定画面へのリンクがある）。設定画面へのリンクはなぜか日本語化されずにImaginary friendsのままだけれど、設定画面にはいると「仮想の友達を作成」というボタンがでんっとあるので、一応公式日本語表現は「仮想の友達」なんだろうということにしておく。
分かりやすい例から始めると、TwitterをやっていてFriendFeedはやっていない親しい人がいたら、仮想の友達機能で友達をつくり、そこにインポートする外部サービスとしてその人のTwitterアカウントを指定してあげればいい。あたかもその人がFriendFeedのサービスも使っているかのように、他のアカウント一緒に表示できるようになる。
まあ、ここまではどうということもない。 </description>
		<link>http://www.ikimono.org/diary/archives/586</link>
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		<title>Thunderbird 3.0ベータ3とスレッド表示</title>
		<description>Thunderbirdの3.0ベータ3がかなり安定していて安心して使えるので、職場でも使っている。使い始めてからこれまでのところ、強制終了はもとより、明らかに不具合だなという現象に遭遇していない。現行のの公式バージョンよりも全体に動作の「もっさり感」がなくなっているのも良い。

つまりは安定した高品質なベータ版なのだけれど、一方ではいささか地味ではある。メールという、ある意味仕事やコミュニケーションのインフラを扱うソフトなのだから安定していることこそが一番大切なのだが、勝手なもので「ちょっとリスクがあっても私はβ版を使ってみますよ」というドキドキ感に欠ける、などと思ったりもする。


個人的に、地味ながらけっこういいんじゃないの？ と思ったのは、複数のメールを選択するとプレビューペインで複数メールの抜粋が一画面で見られるという機能。
はじめは、あってもいいけれどそんな機能が便利だと思える状況はあまりないだろう、程度に思っていた。
ところが、ひさしぶりにスレッド表示を偶然試してみたら、一応実用になるレベルにブラッシュアップされていた（以前使ってみた時はスレッドのまとめ方がいい加減でとても使えなかった）ので、じゃあちょっと使ってみよう、と。そして、スレッドが折り畳まれたままの状態でフォーカスがあたると、そのスレッド内の全てのメールの抜粋がずらっと一画面に。
あら、わりと便利。
バラバラに複数メールを選択して一画面で抜粋をプレビュー出来るというような紹介の仕方をしている記事がネット上に散見されるけれど（いや、実際そうやって使っていけないわけじゃないけれど）、どうもそういう記事を書いている人はそもそもメールをスレッドで寄せて管理していないんだろうな、と思う。だから、真価にも気付かない。


本当はスレッドをさらに管理する、スレッドの中から一部分を切り離したり、スレッドから離れているメールをスレッドに属させたりする、というようなスレッド管理機能がないと、メールをスレッドで管理することの良さが活かせない。半年前のメールへの返信で新規メールを書いてくる人がいるのはまだしも、その時件名さえ変えない猛者がいたりするので、実際のところ完全全自動のままではスレッドでのメール管理は出来ない。
スレッド管理が高機能な無料メーラーはあまり無いので、みんなスレッドというのが結局は使いにくいだけのよく分からない機能だと思っているのかもしれない。
ぜひThunderbirdには将来その辺も頑張ってもらいたい。
 </description>
		<link>http://www.ikimono.org/diary/archives/585</link>
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	<item>
		<title>頸がまたやばい</title>
		<description>忙しく働き続けていたらまた頸椎がやばそうになってきた。
数日前から左手の指先がの一部が腫れてきた。傷が付いたりさかむけしたりして、そこに雑菌が入ると指先が腫れることがあるけれど、傷などがないはずなのに腫れてくるのは、これは経験的に、頸椎の持病が悪化してきて神経の一部が圧迫され始めている時に出るものと気付いている。
「これはマズいか？」と思っているうちに、どんどん悪化し始めたので、あわててストレッチ、温浴、湿布などで、それ以上に悪化するのをどうやらくい止めた。
でもなんだか、薄氷の上を渡っているかのごとき危なさ。
冗談に出来ないほど、やばい。
まあ、働き過ぎとその結果としての運動不足だということは分かっているんだが、現実問題として働かないわけにもいかないので困ったものである。

というような日記を久しぶりに書いて、そしてまたそのまま放置するとOさんに「更新してない。ネガティブな記事がトップに居座ったままなのは良くない」とか怒られたりするので、近日中に別記事書いて更新するぞ、と。
自分のブログを更新すること自体にためらいを持っていた時期があった。仕事めちゃめちゃ押しているはずなのに個人ブログとか更新してる暇あったらうちの仕事してよ、とか思われちゃうだろうなぁ、みたいな気持ちがあって申し訳なくて。
でもまあ、ある限界を超えて忙しくなってみると、開き直りじゃないけど、これ以上はどうせ働けませんという人間の現実というか、まあ少なくとも、私個人の肉体・精神の限界の現実というものは厳然とあって、黙っていようがいまいが、実際にはそれ以上働けないし、そこを無理押しするとそれこそ頸椎ヘルニアが悪化してさらに仕事が出来なくなったりするので、もういいや、普通に書きたいことがあるときはブログを書こう、とひと月くらい前に思った。
思ったのだけれど、結局時間と気力の余裕がないので物理的に更新できなかったりしたという、まあ、そんなものだ。 </description>
		<link>http://www.ikimono.org/diary/archives/584</link>
			</item>
	<item>
		<title>Life Streamページを作ってみた</title>
		<description>激しく忙しくてろくにブログも更新しなかったりするので、今朝の起き抜けにネット上の行動のまとめページとしてLife Streamのページを作ってみた。起き抜けにいきなりそんなものを作っている自分もどうかと思うが、まあそれはそれとして、ネット上各種サービスに散らばる私の行動（Twitter、Tumblr、deliciousなど）最新の20件を表示している。
利用ユーザーは増え続けているはずだと思うのだがFriendFeedは相変わらず軽いし他のサービスのフィードの取り込みもかなり速いので、FriendFeedにまとめたものをここへはき出すという形で使うことにした。そういったシステム（や、多分インフラ）の面では優秀だと思うのだが、FriendFeedのサイトそれ自体を見たり使ったりする気にはなれないという不思議なサービスではある。
なんというか、微妙に使いづらく、あちこちでの設定の仕方がちょっとずつ分かりにくく…という、ほんのちょっとしたマイナスの積み重ねなのかな、と思う、少なくとも私にとっては。
FaceBookに対しても実は同じような使いづらさを感じているので、もしかすると欧米産ソーシャルネットワークの基本デザインというものになじめないだけなのかもしれない、と思ったりもする。しかし、設定をいじるときの分かりにくさという点ではFaceBookも相当にひどいものだと思うので、やっぱりこれは欧米人との好みやポリシーの違いってレベルの話じゃなく、造りが悪いものはやっぱりダメだという単純な話なんだろう。
なんだか悪口というか愚痴になってしまっているけれど、各種ネット上のサービスを一カ所にまとめる、その後それをフィードやスクリプトとしてはき出したり、あるいはそれらをTwitterに自動投稿したりということをやってくれるプラットフォームとしてはFriendFeedはかなり優秀なので、今のところかなりお勧めのサービスですよ。 </description>
		<link>http://www.ikimono.org/diary/archives/583</link>
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