IKIMONO net club
Real life Real world

09-16


WEB上の「雑誌」という形

ガルボWoman.excite:ウーマン・エキサイト
上記は excite が提供を開始した女性向けコンテンツのひとつ。ほぼ全編 Flash。
(誤解のないようにあらかじめ言っておくが,以下に述べていることとこの excite のコンテンツそのものは,直接は,関係ない。あくまで一例である)。
WEB 上の雑誌という形で提供されているものは他にもあり,その多くが Flash を大幅に取り入れているか,全てが Flash で作られている。内容の善し悪し,その雑誌が取り上げるものに対する関心の有り無し,に関わらず,私個人は Flash を使って雑誌のような見栄えを再現するという考え方自体が好きではない。 その考え方では Flash が持っている独自の可能性も,HTML が持っている汎用性も活かせない実に中途半端なものしかできあがってこないからだ。

HTML が持っている汎用性と私が言うのは,原則としてテキストのみの情報である故に簡単にその内容を全文検索したりデータベース化したり出来るし,必要な部分だけコピーしてストックしたり出来る,という意味だ。画像が使われていても適切な alt タグが既述されてさえいればそれも含めて検索もデータベース化も出来る。
Flash では原則としてそれが出来ない。そういう意味では,紙媒体の雑誌の一部分をちょっと破り取って持ち歩く,という簡便さにさえ劣っていることにもなりかねない。

また Flash は自由であるが故に,ナビゲーションが分かりにくくなりやすい危険がいつもつきまとう。これは HTML でも同じといえばそうだが,Flash ではありとあらゆるものをナビゲーションだと主張することが出来るので,見る側はここでのナビゲーションの基本はどうなっているのかということをいちいち学習しなければならない。自由でクリエイティブであることは,同時に見る側にかなりのストレスを強いることでもある。
そのようなことを真剣に考えて制作されたと思われる Flash には滅多に出会わない。

そして,私が思うに Flash で WEB 上に雑誌を再現しようという基本路線で作られたものが,たいていの場合最悪なのである。Flash の可能性に賭けるでもない,紙の持つ簡便さに勝るわけでもない。ただ紙雑誌の誌面をきれいに再現してみたかっただけで,それには現在の HTML の規格ではちょっと制約が多かったので丸ごと Flash にしちゃいました,というだけだったりする。
なんでもかんでも漫画に描き直せば多くの人に簡単に読んでもらえるに違いないという実に安易な発想で作られた「漫画版 xxx」と同じくらいつまらない。漫画には漫画でなければならないオリジナリティと必然性が存在しているということを,ほんのちょっとでも考えてみようとも思わない無神経さにもいつも激しいいらだちを感ずるが,雑誌を Flash でという発想もほとんど同じようなものである。



世界中で爆発が

名古屋の事件(宅配会社に男立てこもり爆発、犯人ら3人死亡 名古屋アサヒ・コム)など)を見て,ため息をつき,思った。
なんだか世界中で爆発が起こっているな,と。
名古屋の事件はあるいは犯人の男も死ぬつもりはなかったのに爆発してしまったのかもしれない。しかし,私が思ったのは,本当に毎日毎日,どこそこで爆発があったという報道ばかりを聞かされているような気がするな,ということだった。

世界中で,一人の人間が自らの命を捨てて爆発を起こすことで多くの他人を道連れにして殺すということが,大流行しているような気がする。
それはもちろん世界中で頻発しているテロのことだが,もともとテロリズムは政治目的などを実現するために暗殺・暴行などの手段を使うことを認める主義,あるいはそのような意味合いでの実際の暴力行為のことだ。少数の人間が自らの命を捨てることで多大な損害を与えるように行動するという意味合いは含まれていない。
かつてタリバンがバーミヤンの石仏を爆破した時,いくら多くの人が飢えていると訴えても世界は手をさしのべてくれなかったが,石仏を爆破したとたんに世界中が注目してくれたと,あるドキュメンタリーの中である人物がインタビューに答えていた。その善悪(や短絡的な思考の馬鹿さ加減)は置くとして,これがある意味正統派のテロ行為だ。
しかし,いつからか特攻行為がテロ行為と同義になりつつある。

命を捨てさえすればたった一人の人間でも多大な損害を与え得るという発見は,二つの意味からきわめて危険だ。(そんなことは昔から分かっていたことで「発見」などと称するものではない。その通りだと思う。しかし最近それが,やってもよいのであり,きわめて効果的だと正面切って考えたり発言したりしても良い,と人々が「発見」しつつあるような気がしてならないのだ)。
それを押し進めていけば数人の人間が目標とする国の主要都市で核兵器を爆発させることで事実上一国全体を壊してしまえるという発想へ当然つながっていく。今はもう,多分それが可能だ。いつの間にか「人間が持ってはならない力を持ってしまった」危険のレベルから,それを一個人でも持てるレベルへと変わってしまっている。
そのような物理的に限りなく拡大された危険さとは別に,命そのものを武器のひとつのように使っても良いとする考え方がしだいに容認されていくのが,特に怖い。命は使うものではない。

ここしばらく,自爆テロが多いというのはそう私が感じているだけであり,統計を取れば5年前10年前と比べて圧倒的に増えているわけではないに違いない,と思いこもうとしてきた。この話題に触れることを,ずっと避けてきた。
でも,いつまでも目をそらしていることも出来ない。






©akio ishizuka