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Real life Real world

09-27


だましだまし

昨日はよりはかなりましになっているけれど,まだ背中が痛い。動くたびにウッとうめきながら暮らす。
そんなわけで体をだましだまし使いながらメールマガジンの原稿をほぼ書き上げる。
だましだましスーパーへ買い物に行き,だましだまし洗濯物を取り込み,観葉植物をベランダから室内に戻す時にだまし損ねて情けなく小さな悲鳴を上げたりする。



掛け金を全額自分に

ひさびさに「この人とは絶対に気が合わないだろうな」という文章を読んだ。
私もかなり偏った人間であることは自覚しているけれど,その人の偏り具合がひどいという意味ではない。むしろバランスを取ろうとしているのが分かるのだけれど,すべてが卑屈で,多分本人はその卑屈さを自覚していない。胸を張って何かを主張しているかと思えば,次の瞬間に意味もなく(としか私には思えないが)「大物」の言葉を鵜呑みにしてありがたがったりする。その二つのことの間に,物事を自分なりに考えるという知的な作業が欠落していて,本来なら絶対に同居できないはずだということに当人が気付いていないらしい。気付いているのに無視しているのであれば,ますます悪質だが。
なぜそのような態度を卑屈と言うのかといえば,つまりは,自分を信じろよ,ということ。
バカでも偏屈でも,まず自分があって世界がある。世界はもちろん自分の思い通りにはならない。そんな世界と自分がちゃんと向き合って,時には自分勝手な思いこみで痛い目を見ながら,自分が世界の中で生きていく方法を考える。
そのためには,なにがなんでもまず自分を信じなければいけない。自分が素晴らしいヤツだと信じろ,という意味ではない。近頃ポジティブシンキング系や癒し系では,そういう発言が多いが,私は信じない。そんなに素晴らしいヤツばかりなはずはない。
そうではなく,自分がそのように世界で生きていけるだろうということに賭けろ,ということだ。掛け金を自分以外の所に適度に振り分けようとする態度は,卑屈だし,本当は誰のためにはならない。
掛け金を全額自分に

熱く語ってみたわりには,何を読んでそんなことを思ったのかということは書きません。はっはっは・・・。
個人批判をしたかったわけではないからです。そのことから自分がこんな風に思ったよ,ということが書きたかっただけなので。



懐かしい

BeOSジャーナルのZeta Beta 5aプレビュー(日本BeOSネットワーク)
今からもう一度いじってみる気になるかどうかは分からないけど(多分いじらないなぁ),画面写真とかを見ていると本当に懐かしい。Be はエレガントなという形容が出来る唯一の OS だったという気持ちは変わらない。「優れた」「堅牢な」「便利な」などでなく。






©akio ishizuka