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12-25


Merry Christmas

Merry Christmas の Merry は陽気な・うきうきするという意味で,merry-go-round(メリー・ゴーランド)の Merry も全く同じ言葉です。そして Christmas は CHRIST(キリスト)の mas(〜祭)のこと。
キリストがお生まれになったので超ハッピーじゃん,陽気に浮かれ騒いでケーキ食ったりしようゼェということです(ちょっと違う。というか,かなり違う)。

多くのキリスト教関係の祭りがそうであるように,クリスマス(降誕祭)ももとは冬至の祭りであったものをキリストの誕生日に結びつけたものです。
もっと正確に言えば,もともと冬至を祝う習慣は世界中にあり,キリストが生まれた当時のローマではミトラ教主神ミトラ神の誕生日である,ということになっていたのが12月25日頃だったようです。
もともと地元の人々が進んで祝っていたものや信仰していたものを少しずつすり替えていくことで定着させていくというやり方は,他の多くの宗教でも使われています。上手く同化しきれなかったものは,悪魔や邪神としていわば「格下げ」されます。そのため,格下げされた存在の方が時々非常に興味深かったり,いきいきとした個性を持っていたりします。体系に組み込みきれないまま放置されたおかげで,変に辻褄合わせがされずにすんだわけですね。
多くの人が悪魔・悪鬼・邪神といったようなものに心ひかれるのは,だから,ある意味ではごく自然なことかもしれません。言ってみれば,善悪にかかわらず,強烈なカリスマがあるのです。

ちなみにクリスマスツリーのてっぺんに必ず大きな星を飾りますが,実はあれがベツレヘムの星です。三博士がそれを見て生まれたばかりのキリストのもとへ導かれたという,例の星。
それにしても三博士の存在意義は何なのか,と思ったことはありませんか?
天使は近くにいた羊飼い達には直に知らせています。でも三博士は見慣れぬ星を空に見つけて,それが何か非常に重大なことを示していると信じ,はるばる旅をしてきます。そういうエピソードがあったんだねと素直に納得するには,少しばかり違和感があります。
そもそも,羊飼い達以外では遠い国の異教徒である博士達だけが最初にキリストにまみえるというエピソードをなぜ聖書は今に至るまで大切に残しているのか,というのがよく分かりません。聖典としてみても,物語としてみても,そこには大切な意義があったからずっと残っているはずです。
三博士は「マギ」と呼ばれる古代ペルシア宗教トップ階級の人物達で占星術や夢解釈を通じて政治や文化にも絶大な影響力を持った人々だったようです。英語のマジックもこのマギが語源になっているという説もあり,つまり当時の東方世界ではそれだけずば抜けて知的なエリートだったということですね。
そう考えると,三博士の存在意義は,当時の世界最高のエリート集団による承認という「お墨付き」のためなのかもしれません。






©akio ishizuka