IKIMONO net club
Real life Real world

02-18


完了

次号メールマガジン,配信予約に回しました。
ふう。
えー,配信開始以来,最も長い記事になったみたいです。
以上。



覚え書き

先日某氏と話したことも含めて,いずれ文章にまとめようと思っていることがいくつかある。でも怠け者なので忘れてしまったり投げ出してしまったりする可能性もあるので,メモだけしておく。

雑誌は「まとめサイト」である

速報性が雑誌の価値だった時代はもちろんとうの昔に終わっているけれども,リアルタイムに膨大な情報が流れ続ける現代は「その初めから追っかけていないとまるで理解できない」とか「楽しめない」ミニイベント(祭り)が沢山ある。
それをプロ編集者の手でまとめるのが雑誌。
インターネットにとっての「まとめサイト」,世間にとっての雑誌。
ひとは「何をそれ以上知らなくても良いか」を判断するために雑誌を立ち読みする。

消費者ではない。パトロンである。

文化や芸術にはパトロンが不可欠である。現代は大パトロンが不在の時代だが,パトロンという存在そのものが消滅したわけではない。以前よりも富が均等化され,極小のパトロンが無数に散らばる状態になっただけである。
「消費者」と言うな。なぜなら,文化や芸術は消費できない。
「読者」は「消費者」ではない。文字通り,ただ,読んでいる者のことである,と考える。そう考えれば,それはつまりディレッタントのことであり,行動はパトロンのそれである。
もし今も,出版が文化であると主張するのであれば,消費者に可能な限りたくさん消費させることを考えるのではなく,パトロンを得るように行動することを考えよ。

オープンソースは儲からない

儲かるかどうかという議論が出てくること自体がおかしい。オープンソースは資本主義から遠ざかり,やがては労働の等価交換や物々交換へと横滑りしていく性格を最初から持っている。
誰かが上手に皿を削って村人に分け与えたら,お礼に村人が畑の作物を分け与えるようなもので,急速に強化されていくネットワークがそれを全世界規模で可能にするかもしれない方向へ発展させただけのことだ。
尊敬と礼儀によって成り立つことを前提にしているから,余剰の富が大量に発生することはなく,従って「儲かる」ことはない。つまりオープンソースに奉仕して暮らしていける可能性はあるが,企業形態のような大量の人間を養えるほどの富が得られることはない。

TVは不自由なメディアである

存在そのものが重複できるメディアと出来ないメディアがある。TVはリアルタイムで放映される以外の存在形態があり得ないので,決して重複できないメディアである。一日は24時間しかないので,ひとつのTV局はたとえ全ての番組を15分の細切れ番組にしても最大でも96のコンテンツしか放映できない。また,どんなにチャンネル数が増えても,一人の人間は96以上のコンテンツは視聴できない。
一見テレビが「強力な」メディアに思えるのは,リアルタイムで何かが目の前で動くという「疑似現実感」に人間がどうしてもひかれるからだけである。






©akio ishizuka