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03-12


見分けられないと色も区別できない

薄々気付いてはいたが「見えない」ということは「見分けられない」という部分にかかる比重が大きい。隣接するAとBを区別出来るかどうか,ということ。

どんよりと曇った今日の早朝いつものようにゴミ出しに出て,そのまま切れかけていたコーヒーの粉を買いに近くのコンビニへ歩いた時,ものが一様に灰色の濃淡に沈みかけていて見分けにくいということにはっきりと気付く。
大丈夫と分かっていても車道をトラックなどが走り抜けていくたびに,押さえがたく怖い。

昨日の夕食の時も,醤油をかけたりして偶然皿と色が似てしまった料理が,せいぜい50センチ程度の距離から,まだ残っているのかもう無いのか,見分けられなかった。
残っていた量はおよそ10センチ四方もあったのに,だ。

私の場合乱視が強いので特にそうなのだろうけれど,ものが見えない時はそれぞれのものの色同士もずれて混じり合ってしまっているわけだ。陰影もそうなるから昨晩の料理のように,大きさだけでなく厚みもあるものでさえ判別できなくなる。

で,毎日続けている「弱者の立場になってみると」だが,Webページであまりに微妙な色を使われるとそれが分からないことになる。
これまで私自身,色の問題は色覚に問題がある方々に配慮するという意識で考えてきたが,必ずしもそれだけではないということを,身をもって知ったわけだ。色覚に問題が無くても視力が弱ければ,コントラストが弱すぎたり,違いが微妙すぎる色が隣接していたりすると判別できない。



「〜に配慮する」

「〜に配慮する」という言葉遣いそのものが,少なくとも私自身の場合は「本当には分かっていないけれどもとりあえず気を配っておこう」という行動をあらわしていたんだ,ということにも気付く。
やれやれ。

いささかインラインフレームを使いすぎているという点と,基準にしている文字サイズが一段階小さいという点を除けば,INCサイトはとても「配慮」されている。
いろいろなユーザビリティテストにかけても,常に優秀な成績をおさめる。
普通ここで「自慢しているわけではありませんが」と思わず言いたくなるところだけれど,今はもう言わない。
今回自分が弱者の立場になるまでは,おそらく心のどこかで「配慮」が行き届いていることを,自慢していたのだ。本当にはその効果がいかなるものかを知らずに。
でも,もうそんな中途半端な態度はとらなくてもいい。身を持って体験したことで自慢をする/しないということとは関係なく「それは良い/悪い」とはっきり言えるし,言うべきだということが分かってしまったからだ。
とてもシンプルだ。



くりかえす夢

とある百貨店がリニューアルされてこれまで6階までしかなかったところが16階くらいになっている。
新しく作られた10階あたりのレストランへ行かなければならない約束なのだが,予想通り,迷い始める。
どこがどうつながっているのか,使う階段やエレベータを間違えると,売り場の外へ出てしまう。
これはちょっと説明しにくい。
この建物の建て増しされた階は,外箱の中にもうひとつ内箱があるような感じで作られている。多くの現実のビルでも実際には壁と内装の間には空間があり,特に天井部分には比較的大きめの空間があっていろいろな配管が通っていたりする。床下の空間に通信関係のケーブルが走っていることもある。
それがものすごく極端になって,売り場を構成している天井の上にも壁の周囲にも10メートル以上もの空間がある,と思ってもらえるといいかもしれない。
うっかりその空間部分へ出ると,薄暗く広大な倉庫に巨大なコンテナが幾つか積み上がっているような光景になる。コンテナのように見えるものが,実際には売り場の壁と天井で,その周囲にはがらんとした,薄暗い空間がただただ広がっている。
さらにややこしいことに,階によっては,そのコンテナのような売り場の天井や外壁を一種のステージとして使っている場合もあり,「うっかり」ではなく意識的にそこへ出なくてはならないこともあるので,階段やエレベータは,そもそもちゃんと各階のその隙間階にも停止するようになっている。
これらのステージは中央部が盛り上がってかなりの高さになっており,舞台まではちょうどピラミッドを登るような感じであらゆる方向に延々と,階段だけがある。つまり,実際には客席などは無いのだ。
いくらか平坦なてっぺんの部分にステージがあり,その上には次の階までの薄暗い広大な空間がある。周囲にも延々と広がる階段だけがあり,階段状の坂を下りきるとすぐそこにエレベータの扉が控えている通路がある。百貨店のワンフロワ分の広さが丸ごとそんな状態だから,実に奇妙だ。

迷いながら,結局「普通の階」には戻れずに,上へ上へと進んでいく。全く人影がないというほど静かではなく,時々数人のグループとすれ違ったりもする。
売り場の外壁の形が箱状ではなくモスクのように尖っているとりわけ奇妙な階を通りかかった時には「あそこの階では販売は一切していないの。ひたすらサンプルの配布だけなのよ」というような会話を耳にしたりもする。14階あたりだった。「研究員が実際にあそこでいろんなものを作り続けているらしいわ」

とうとう最上階へ出てしまう。
最上階もやはりステージになっているが,そもそも階全体がかなり狭く,鋭い山形に盛り上がった階段状の坂の上に,人が二三人立つのがせいぜいという空間があるだけだ。
そして,どう見回しても,ここには外壁も天井も無い。風も感じないし音もしないが,むき出しのビルの天辺。
狭いステージのすぐ下,一段下ったあたりに,おそらくそこで行われた演劇か何かのポスターと思われるものが一枚落ちている。
転がり落ちるのも怖いのでしっかりと腰を下ろしてそのポスターを手に取ると,そこには私自身の筆跡の書き込みがある…というところで,実は以前にも全く同じ場所を舞台にした夢を見ていたことを思い出す。
かつてもここまで上がってきて,そのポスターに「一体ここはどこなんでしょうね」というような意味合いの書き込みを残したのだ。
そして今,そこには返信が書き込まれている。明るい口調で,器用なイラストまで添えて。
その文体,そしてイラストが,判断に迷うまでもなく,水玉蛍之丞だ…。
…。
なぜ水玉蛍之丞。
明るく楽しく,今度遊びにお出でよというような感じのことがたくさん書かれているが,何度か読み返しても,この奇怪な建物のことにはひと言も触れていない…。

目が覚めてから,ちょっと考え込んだ。
確かに私は子供の頃から「続き物」の夢を見ることが多い。
また,巨大な建物の中をさまようというパターンの夢を見ることも多い。
そして大抵はその中に,本来は無いはずの空間に入り込んでしまうという設定が,かなり多くの場合含まれている。広大なホテルの中でとある扉を開けると位置関係が分からない空間に出るとか,ビルの階段の裏側に偶然かなり広い通路を発見するとか。今回ほど極端な広さが出てきたことはないが,設定そのものは共通している。
さらに,今回もそうだが,必ずしもこのパターンの夢は悪夢というわけではなく,かすかに焦燥感があることはあっても,決定的に悪いことが起こることはまず無い。
つまり典型的に私らしい夢を見たのだが,今回の百貨店を舞台にした夢を以前に見たのかどうかがどうしても思い出せない。
夢の中ではそう思っているが,もしかすると以前にも来たことがあるという設定も含めての初めての夢なのかもしれず,そうだとすると自分自身に対してずいぶん凝っただましをしかけたものだと,いささか考え込んでしまったわけだ。






©akio ishizuka