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05-31


Yahoo!JapanがGoogleをやめた

Yahoo!Japanが検索エンジンを自社製に変更?スラッシュドット ジャパン
すでにあちこちで話題になっていますが,とりあえず/.Jあたりにリンクしておいて,と。
検索エンジンに影響されるような仕事をしている人々のため息が聞こえてきそう。「忙しい月末のうえに猛暑のさなかによぉ」とか関係のない愚痴もついでに出そう(苦笑
確かに日本ではYahoo!というのはいまだにかなり強くてGoogle一人勝ちとは言えないです。私のサイトへも(検索エンジンから来ている方だけを集計してみると)おおよそ45%くらいはYahoo!です。ですからYahoo!の検索エンジンが変わる影響というのは無視できないでしょうね。



大手町某氏のところへ

K氏と共に大手町某氏の元へ。
総会は別として久しぶりに話したけれど相変わらず目配りが広く,面白いので今日の訪問の本来の目的の範囲に話を納めておくのに苦労しましたよ。だって,好き勝手話している方が絶対に面白いんだもの,某氏。
昔もそうだったねぇ,二人して(笑)
エー,もう少しまとめ直して K氏としつこく再訪するつもりなのでどうぞよろしく。



世界観だけ,はダメなのか?

大塚英志や東浩紀が言うところの大きな物語あるいは(というか≠)世界観を,そのまま売ってはいけないの?という疑問が最近頭の中をぐるぐる回る。
実は私個人は,テーブルトークRPGの設定集やルール集だけを購入して舐めるように読んで楽しんだという経験が何度もあるのだが,これはやはり相当に特殊な部類に入るのだろうか?
つまり,その設定やルールに基づいて語られた小さな物語であるリプレイや小説・アニメ・ゲーム等々を一切見ず,ただひたすら世界観とルールだけでじゅうぶん楽しめる場合もあった,ということ。『ウオーハンマー―ファンタジーRPGルールブック』 なんかはパラノイア的に凝っていてものすごく好きだった。(重版される見込みはほとんどなさそうだけれど)。
多くの人はやはり「小さな物語」を提供してあげないと世界観とルールだけでゼロからは遊べない,ということなのだろうか。

これと関連してもうひとつ。
オリジナルとその世界観に基づく二次制作品の差が限りなく縮まっていくような消費行動という考え方そのものは納得できるのだけれど,でもやっぱり最初に生み出された世界観そのものはオリジナルであり,二次制作作品が決して持ち得ない創造性を持っているんじゃないの?ということ。
決してそれが否定はされているわけではないけれど,私個人の感覚からすると不当に低く評価されいるような気がしてならない。その世界観から生み出される「小さな物語」のレベルでは確かに二次制作品と差がない(場合によっては二次制作品の方がより面白い)ことはある。でも,テーブルトークRPGの設定集だけで楽しんだ私個人の経験からすると,すぐれた設定集とダメな設定集の差というものはまぎれもなく存在し,その差はすぐれた小説とダメな小説の差と同じように,分析したりデータベース化したりだけでは説明しきれない。

多分蛇足だけれど,誤解を避けるために付け加えておくと,これはゲームやアニメが存在していて,その設定資料集として発売されるもの,の話ではありません。
全てに先立って作られるもの,の話です。



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©akio ishizuka