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06-09


昔の漫画を読み直す:「BANANA FISH」吉田秋生

最近「昔読んだ漫画はこの歳になっての再読に耐えうるのか」ということが妙に気になって,なんとなく次々と読み返してみたりしている。
そんなわけで,今日は「BANANA FISH」(吉田秋生)を取り上げる。

「BANANA FISH」1巻Banana fish (1)
吉田秋生
小学館 別コミ フラワーコミックス
1987(昭和62)年
連載が開始された1985(昭和60)年は,旧ソ連でチェルネンコ共産党書記長死去にともない、後任にミハエル・ゴルバチョフ選出され,その年の秋には早くもスイスのジュネーブでアメリカのレーガン大統領と会談が行われた年だった。
国内では,6月に豊田商事事件,8月には御巣鷹山への日航ジャンボ機墜落事件など大きな時間が続き,一方では阪神が日本シリーズも制して完全優勝するという,なにかと話題の多い年だった。
ついでながら「なんてったってアイドル」(小泉今日子)もこの年発表された。
単行本化された1987年は国鉄が分割・民営化されてJRとなり,大韓航空機事件が発生した。いわゆるバブルが誰にでも感じられるほどになったのもこの頃で,安田火災海上がゴッホの「ひまわり」を53億円で落札などということもやっていた。
雑誌連載そのものの終了年月が確認できていないが,単行本の最終巻が発行されて一応完結したのが平成6(1994)年。地下鉄サリン事件発生の1年前だった。

この作品も作者もきわめて有名なので,ストーリーや登場人物の紹介などはすっ飛ばして,今読み直してみたら,ということだけを書く。
まず,1巻を読み始めてすぐ,連載開始直後の絵はかなり線が太くてボキボキしており,アッシュがとても絶世の美少年には見えないという事実に気が付く(笑)。単行本4巻目あたりから少しずつ絵が変わり始め,8巻目の頃には現在の吉田秋生の絵柄にほぼ近づいてくる。
これを単純に上手くなったと言ってもいいが(事実テクニック的には抜群に上手くなっているのだが),初めの頃の絵柄の方が実は泥臭いアメリカンテイストというものが強く感じられ,最終巻の頃には設定はニューヨークのストリートギャングの話だけれども典型的な日本の少女コミックというものになってしまっている,というふうにも,個人的には,感じられる。

典型的なコマ割りさて,では吉田秋生自身の中でコミックス創作そのものに関して何かの変化があったのかどうかという点で言えば,無かったのではないか,と思う。
それは1巻目の頃と19巻目の頃を比べてみても,コマ割りそのものにはほとんど全く変化がないからだ。最後の方ではコマを水平・垂直に割らずに若干斜めにするケースが増えてはいるが,それでも1ページを横三つに割り一列を縦に二つか三つ割るという基本フォーマットは全く変化していない。コマが重なり合うような手法をほとんど全く使わず,枠線が閉じていないコマも非常に少ないということも同じで,これは後々の作品でも大きくは変化していない。
だから,絵柄は洗練されたけれど語りの文法はすでに完成されていたのだろうと,私は,思う。

おはなし(ストーリー)そのものは,正直に言おう,さすがにこの歳になって読むといささかつらかった。少年達を描くにあまりにナイーブで時折臆面のなさに赤面したくなる。
また,真の悪意を持った人物というものが描けておらず,たとえ悪事に荷担していてもそれは何らかの人間的な弱さが根にあるという描かれ方に偏るので,大量のいい人と,弱い人と,中身が感じられないごく少数の悪役,というアンバランスな世界を見せられることになる。
アッシュと英二の友情の物語なのだと納得して読めばそれはそれでよい。しかし,吉田秋生本人ももっと大きな物語を描くつもりでいつの間にか,その中のひとつのエピソードとしてアッシュと英二の物語を描くことになってしまったという気持ちを最後まで振り切れなかったなのだろうと思う。(わざわざ言うまでもなく後に『YASHA』でやり始めたことを見れば分かる)。
その結果,BANANA FISHは本編で主人公が死ぬところまで描ききっているにもかかわらず,本編だけでは(ストーリーという意味ではなく作品のおさまりというような意味で)完結させられなかった。
PRIVATE OPINION 後日談にあたる「光の庭」やブランカとの出会いを描いた「PRIVATE OPINION」を読むと,いち読者としては,なんだか非常に落ち着いたカタルシスを感じられるのは,そのせいだろう。つまりアッシュを中心に据えた物語そのものはじゅうぶんに描き切れていなかったし,本当の意味でも完結していなかった,ということになる。

ひょっとすると吉田秋生は二つの創作の欲求に引き裂かれているのかな?と感じたのは,たった2巻で終わってしまった『ラヴァーズ・キス 』を読んだ時だった。
見事な線で描き上げられたこの佳品は,人間同士の魂のふれあいという点だけで言えば『BANANA FISH』のアッシュと英二の関係を描いた時よりも数段深くなっている。暗い海のイメージを繰り返し印象的に使う語り口も実に見事だ。それでも吉田秋生はこの作品をまるでうち切るようにやめてしまった。
素晴らしいけれど小さな物語であることに,満足できなかったのかもしれない。
そして『YASHA』を描き始め,多分,それは『BANANA FISH』を超えられなかった。

このようなことを考え合わせると,『BANANA FISH』は吉田秋生の作品を読んでいく上での基礎教養という側面を非常に強く持っているように思う。読んで損はないというより,読んでおかねばならない,という位置づけの作品。
現在の絵柄と物語の文法を確立した時期の作品でもあり,のちのち引き継がれていくある大きな物語を初めて語ろうと試みた作品でもある。
私は吉田秋生の苦闘が成果を生むのを期待して待っている。
けれども,それはまだ何年も先かもしれない。



ダメな感じ…

自衛隊の多国籍軍参加、来週中にも正式決定 (YOMIURI ON-LINE )
とか
「愛国心」明示の方向 教育基本法改正で与党 (Sankei Web )
とか。
…。
この国,大丈夫なのか?どんどんおかしくなっている。



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©akio ishizuka