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06-10


ちょっとうんざり

はてなダイアリー - 高木浩光@茨城県つくば市 の日記 で続いている Winny に関する記事とそれに対する反応をそれとなく追いかけてきたけれど,もうなんだか議論のための議論,自説を補強するためだけの例示合戦という感じになってきていて,ちょっとうんざり。

2ちゃんねるにおける「神!」という表現は、単純に純粋な賞賛の意味で使われるのとは違うだろう。しばしば軽犯罪を犯した有名人などに対して「神!」と言うこともある。「祭」を楽しみたい人たちが、祭を起こしてくれるネタを提供してくれる主を「神!」と呼ぶのである。神と呼ばれるに値する行為は、誰にでもできるわけではないことでなくてはならない。その一つが、犯罪、あるいはそれに類する行為ととられかねないリスクを犯す行為である。リスクを犯してまで自分たちを楽しませてくれる人、それが「神!」である。自分たちはリスクを被らないで済む。簡単なところでは、たとえば、テレビの特定の番組を話題にしている場で、注目のシーンをキャプチャしてアップロードしてくれる人を、「神!」と呼んだりする。

そこに見えるのは、自分は侵害行為に加担したくないという倫理観(あるいは安全意識)を持ちながら、自身の欲望は達成しておきたいという考え方だ。Winnyは、まさにそういう人たち向けなシステムだったと言えよう。

そして、そういう考え方は今も増長し続けている。
2004年6月8日

ごく一部分だけを揚げ足取り的に引用してしまうことは避けたかったのでちょっと必要以上に大きく引用した。
高木氏が2ちゃんねるにおいてどのようなことをした人が「神!」と呼ばれるのかについて述べているけれど,これは非常にずるい文章だ。
しばしば軽犯罪を犯した有名人などに対して「神!」と言うことある。としながらも,Winnyに関する議論に結びつけるために,あたかも犯罪行為を犯さなければ「神!」とは呼ばれないのだと読みとれるような書き方になっている。
ずるいというのは,何気なしに読み下すとおそらく非常に多くの人がそう誤読するにちがいないのに,一文一文を丁寧に調べると「いいえ私はそんな断定はしていません」と言えるように周到に書かれているからだ。
ここに持ち出された「神!」の定義と氏の主張は,実は何らかみ合っていないのだが,あたかも氏の主張を補強する証拠のように見せかけられている。

これは別に高木氏側だけのことではなく,高木氏の日記に反応する人々にも(賛成であれ反対であれ)かなり多く見受けられる。
ちょっとうんざり。



結果オーライではすまないこともある

暴力的指導繰り返した3教諭を懲戒処分 横浜市教委 (asahi.com : 社会 )
気になったのは事件の内容そのものではなく,なぜこれを教育委員会が最も重くても停職6カ月程度の処分ですむと判断したのか,ということだ。
100歩譲って厳しく指導することが、児童の自立のために最良だと思いこんでいた。という男性教諭個人の主張が嘘偽りのないものであったと全面的に認めたとしても,教師としての適性がないのは明らかであり,半年間定職にすれば正されるというようなことではなかったはずだ。
結果的に男性教諭は退職届を出して受理されているが,結果オーライではない。「表向き半年間の定職という処分だけどここはホラ君やっぱり退職したまえよ」というような暗黙の圧力がかけられたのだとしても。
教育委員会はこれはどの程度良くないことだったのかということをはっきりと示す義務があったと思う。
べつに必要以上に厳しい罰を科せとヒステリックに要求しているわけではないので誤解の無いように。



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©akio ishizuka