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06-11


昔の漫画を読み直す:「草迷宮・草空間」内田善美

「昔読んだ漫画はこの歳になっての再読に耐えうるのか」シリーズ。
…いやシリーズ化する予定は無いんだけど。書くのがものすごく大変なので (^^;
今日は『草迷宮・草空間』(内田善美)を取り上げる。

「草迷宮・草空間」『草迷宮・草空間』
内田善美
集英社 ぶ〜けコミックス豪華版
「草迷宮」1981(昭和56)年。
「草空間」1984(昭和59)年。
単行本発行は昭和60(1985)年。

「草空間」が発表された1984年は,グリコ・森永事件が発生した年であり,福沢諭吉が1万円札になった新札が発行された。「風の谷のナウシカ」もこの年。

内田善美を知らない人でも古本に付いている高値には驚くだろう。
まさに伝説の作家の,伝説の名作である。
噂(未確認)では作者本人が再販を拒んでいるとのことだったので,今では一度も読んだことがない人も増えただろうから,ごく簡単に内容の紹介もしておく。
大学生の草は捨てられた日本人形を(『草迷宮』で)拾う。この人形「ねこ」は人間の子供のようにしゃべり、笑い、泣き、すねる。草がこの人形に翻弄されながらしだいに心を通わせていく様子が『草空間』にかけて語られていく。飼っていた金魚の死を「ねこ」に納得させるために草が生と死について説明するシーンなどの深さ・美しさが少女コミックスのひとつの頂点だとも言われている。

動き回る「ねこ」絵の力は圧倒的。デッサン力,大ゴマの見事さは群を抜いている。表紙はもちろん本人によるものだが,(カラーでこそないが)ほぼこの絵のままでちゃんと作品内で自在に動き回るのだから,脱帽するしかない。
「ねこ」の愛らしい表情や仕草は,驚くほどストレートに読者の胸に入り込んでくる。
奇妙なストーリーや印象的な台詞など全ての点ですぐれた作品だが,なによりもこの「ねこ」を描ききった絵の力があってこそ,それらを受け入れる気持ちになれるということは間違いない。

絵が上手いから,という言い方で片づけてしまうのは少し違う。
この連作で内田善美は,生きる,成長する,死ぬ,愛する,というようなとても難しいものを,どこかから借りてきたような言葉で丸め込むようなごまかしもせず,笑いや涙にまぎれさせて正面から向き合うことを避けることもせず,草とねこの日々の細部を描くことで絵として描ききってしまった。これは本当に驚くべきことだ。
内田善美は1953年生まれなので,これを描いた時はまだ30になったばかりだったというのも,それはそれで,驚くべきことだ。

さて。
内田善美は「草迷宮」と「草空間」の間に,大作『星の時計のLiddell 』の連載をしている。しかしこの連作を読んでいると,二つの作品の間にブランクがあったとはとても思えない。作品に引き込まれて読んでいるとどこで次の作品にバトンタッチされたか意識できないほどだ。
『星の時計のLiddell 』の中には楽屋落ち的に「草迷宮」の草,友人の時雨,そしてねこだと思われるおかっぱ頭の少女の三人が4コマだけ描かれている。作者自身も相当に愛着があったのかもしれない。

『星の時計のLiddell 』は壮大な力作だが,いささか衒学趣味が過ぎる。私個人は『草迷宮・草空間』の方が好きだ。
一読した印象では『星の時計のLiddell 』の方が複雑な作品であるかのように思えるけれども,実は比較的単純な話だ。登場人物達の議論が複雑なだけで,話そのものはストレート。
『草迷宮・草空間』はねこの愛らしさに引きずり回されてニコニコしながら一気に読んでしまうが,実はこちらの方が話は複雑にねじくれている。
たとえば,魂を得た日本人形であるねこが,実は恋人(になっていくであろう)あけみちゃんの子供の頃にそっくりだということが判明したあと,ごく普通の少女コミックなら大抵は主人公が人形から「卒業」していく様を描こうとするだろう。ところがこの作品では,二人の距離は以前よりはっきりと近づいていくのに,人形であるねこと草の最高に素晴らしいエピソードはさらにそのあとに来るのだ。
…。
すごいねぇ変形版の「できちゃった婚」みたいな話だなぁ,とも思う。内田善美をひたすら美しい思い出としている読者には,なんともおかしなたとえで申し訳ないが。
まだ二人は性交渉を持っていないのにすでに子供がおり,しかもそれは男性の側に先に現れている。草が人形を拾ったという発端からすれば「男性に連れ子がいる」というパターンに落ち着きそうなものだが,とてもそのようには思えない。
なぜならねこは子供の頃のあけみちゃんにそっくりなのだし,二人はゆっくりとねこという生き物を知りつつある途上だから。
とてもとても,通り一遍の読みでは終われない美しくも奇怪な作品なのだ。

『草迷宮・草空間』は,愛しい。
好きだとか,すごいとか思えるコミックは沢山あっても,愛しいとなると次元が違う。
めったにあるものではない。
この歳になって読み返してみてもやはり,愛しかった。



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©akio ishizuka