IKIMONO net club
Real life Real world

08-12


RSSは読まないものを決めるためにある

「RSSって何?よく分かんない」という発言はよく見かけます。分かんないものは仕方がないし,分かれと強要する必然性も全くないので,それはそれでかまいません。
しかし先日,自身ブログツールでサイトを作っていて RSSfeed もあるのに「なぜ専用ツールで見るのか理解できない。フツーにブラウザで見ればいいのに」という主旨の発言をしている人を通りすがりに見つけて,苦笑。

RSS リーダーで RSSfeed を巡回するのは,記事を読むためではありません。読まないものを決めるためです。
話を分かりやすくするために,次のような限定した例を考えます。
コンピュータ技術関係の記事をたくさん書いていて,しばしば読者である自分にとって興味深いものが公開されるサイトがあったとしましょう。
しかし,Java を勉強したこともなく,今後も当分その必要が出てくる可能性もないので,いくら一般論的に興味深い記事であっても読者である自分個人は,そのサイトの Java に関する記事を読む必要はないとしましょう。
毎日直接ブラウザで見に行く,あるいはサイトが更新されたかどうかだけをチェックするソフトを利用して更新があればブラウザで見に行くということをしていると,そのサイトに行って始めて更新された記事は Java に関するものだったということを知ることになり,時間と手間が無駄になります。
RSSリーダーで記事のタイトルと簡単な要約にさっと目を走らせれば,その記事をスキップすべきどうかがほぼ瞬時に分かります。作者側の「読んでもらいたい」という意図とは関係ありません。読まないものを決めるためにある,という意味はそういうことです。

私のこの日記にしても,本や出版業界に関する話題だけに興味があってチェックして下さっているので,HTML だのコンピュータだのの話題は本当は読みたくない,と思っている方も沢山あるでしょう。見て下さる方がスキップするかどうか判断できるように RSSfeed を提供しています。
また,ソフト紹介関連のページにお出でになっている方々と出版に関するページにページにお出でになっている方々では興味の対象が全く異なりますから,新たにソフトに関するものに限定した RSSfeed を提供することにしました。
公開されたサイトは,ご覧になる方々がどのように利用しようが自由です。自分には興味のないものに強制的につきあわされるいわれはありません。
その意味では,サイトで RSSfeed を提供するということはユーザビリティを高める努力をすることです。サイトの文字サイズを自由に変更できるようにしておいたりするのと同じように,閲覧する側の自由を尊重することです。



卑下しないみじめさ:中島らも

今夜、すべてのバーで 今夜、すべてのバーで
中島らも
講談社(1994/03)
昨晩何気なく読み返しました。上手くて本気でびっくりしました。
絶妙のタイミングで入る新たな展開,シリアスとコミカルのバランス,卑下しないみじめさ,同情しない悲しさ。
何もかもが,上手い。
やっぱり絶大な才能があったなぁとあらためてしみじみしてしまいましたよ。



ページの上部へ戻る

©akio ishizuka