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09-28


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絶滅したのかな

某社さんと打合せのため某所へ出向いた時,少し時間が早かったので目的地周辺をちょっとだけ散歩。裏道に,小さいながらいい雰囲気の食べ物屋がけっこうあることを発見。落ち着いていて,狭くて,個人的にはかなり好きなタイプなのだが,ほとんど人が入っていない。
うーむ…。
もう,こういうタイプの店は世間一般の好みからはずれてしまったのかなぁ。
歩き続けながら思わず,こういう店をもう一度「いいもんだ」と思ってもらうためにはどうしたらいいのか真剣に考えてしまった。現在の味・値段・接客態度などに大きな問題はないと仮定し,大きな窓で明るくだのといった現状を壊す改装はしない,という前提で,どうするか。
だって,私自身は今のままの風情が好きで,こじゃれた明るい店に改装なんてして欲しくはないわけだから。

たとえば蕎麦屋にひとりで入り,蕎麦は頼まず天ぷらを頼んでゆっくりめにビールを飲む,みたいなのがじゅうぶんスノッブだったというような感覚は,もう絶滅したのかなぁ…。
よく「暗い店舗はダメだ。徹底的に明るく!」みたいことを言うけれど,それだって本当は中途半端に暗いからいけないんだと思うんだよな。何でもかんでもギラギラするほど明るくなくてもいいんじゃないか。中途半端ではなく,ちゃんと暗く,必要な部分だけ明るければそれはそれでいいじゃないかな,飲食だけの話じゃなく,たとえ物販でも。
うーん。

こういう違和感というのは,(一見全然関係ない話題に思えるかもしれないけれど)たとえば近代的な(それこそ「石とアルミ!」みたいな)ビルの裏口あたりで,おしゃれな服装の,多分そのビル内で働いている女性が,ひっそりとタバコを吸っている光景を目撃したりする時に感ずるものと,とても似ている。
タバコがいいか悪いかはこの場合ちょっと脇に置くけれど,つまり古い建物より明らかに居住性がよいことは確かなのだけれど,それでも必ずしも人間の体にじゅうぶん馴染んでくれるわけではない違和感が残っている。
あるいは,都会の中のほんのちょっと引っ込んだところにある自動販売機の前で,何人ものサラリーマンが飲み物を手にして立ち話をしているという光景も実際に何度か見かけたけれど,これも普通に考えれば決して快適ではないはずだけれど,やはりそこへ来て立ち話をしたいような何かがあるんだよね。
この場合は道にぴったり面しているものではダメで,ほんのちょっと引っ込んでいる,ということが,多分ポイント。

などなど考え続けたけれど,打合せ時間が近づいたので打ちきりにする。
でも,この先にはきっととても大切な何かがあるはずなんだけれど。



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©akio ishizuka