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11-19


Mozilla.org日本語版修正された

ああ・・・やっぱり修正されちゃった。(11/14日記参照
されちゃったという変な言い方は,まあ,場合によってはあのままつっぱってもらっても面白かったけどな,という無責任な感想。
Mozilla.org日本語版

上記から連想したことだけれど,最近いろんなところを(ネット上で)ぶらついていると,もしかしてうちのサイトってレイアウトテクニックとしては平均からはすごく外れたことをしているのかな,とふと思う。段組みはテーブルを一切使わずにCSSでやっているし,そのうえそのレイアウトの中へインラインフレームまで入れるという・・・おかげでNetscape4.xバージョンのブラウザでは表示がぼろぼろだけれど。
・・・激しく誤解されそうな気がするので(いや間違いなく誤解されまくって嫌われまくりに違いないで),気弱にも追記。
それがいいとか,オイラ偉いぞとか思っているわけではないです。
一時期「真面目にHTML書かなきゃ症候群」(World Wide Web Consortiumの勧告を100%真面目に受け止め,現状では全く意味がなさそうな場合でも勧告にきっちり従って書こうとする,ある種の人々が発症し,かつ,やや伝染性もある症状)にかかっていたので,tableで見た目をレイアウトするのはイカ〜ンと真剣に思っていたわけですね,その,一時期に。
そして気がついてふと世の中を見回してみると,多分blog系ツールがはき出すソースの影響も大きいんだろうけれど,多くの人がCSSで段組をしようとわさわさと動き始めておるなぁ,と気づいた,ということです。かなり以前からこういうことに真剣に取り組んできた立派な人々は日本にも複数いたけれど,最近はわりと一般の人も取り組み始めているな,と。
書けば書くほど嫌われそうな気がするので,もうやめとこう (^^;



見出しは必須か

HTML関連でもうひとつ。
この日記にもいわゆる小見出しがありますが,果たしてそれは本当に必要なのか,と疑問を感ずることがあります。
論文や何かを説明するための文の場合には,小見出しは絶対にあった方がいいけれど,日記などの個人的で,かつすじの定まらないことの多い文章の場合には,本当は見出しという考え方そのものがなじまないかもしれません。
私自身がこの日記に小見出しを入れているのも,単に検索したりリンクをはったりする時のアンカーポイントとして何らかの文字列があった方が扱いやすいという理由からです。つまりコンピュータ上で扱われることを前提に,それに合わせているわけです。全部の文章に必ず自発的に小見出しを振りたくてやっているわけではないです。
少し長目の,何かを集中的に論じた文章を書く場合には,意識的にさらに細かく見出しを付けていることはあります。ですから見出しの全てが不要だと言っているわけではありません。
全部が,本当に必要なわけではない。
そして,扱いやすいという理由づけはくせ者だ,と。

これらのことを自分ではっきりと意識している場合はまだましだと思いますが,最近の一部のblogツール,あるいはblogサービスの中には,書いた文章の履歴を自動生成する等のために,文章に小見出しを入れることを強要するものがあります。これはおかしいですね。
ただ一言,ねむい〜,と書きたいだけだった時も小見出しを書けと。
それは人間の自然な行動に明らかに反しています。
この場合は,むしろツールの側が「小見出しが空白の場合には日時のみのリンクを自動的に生成する」などの仕組みになっていてしかるべきです。
コンピュータやその上で動いているツールの限界に合わせて行動しすぎるのは,ちょっとしたブラックコメディです。
一時期過熱していた,いかにして自分のサイトを検索エンジンに拾わせやすくするか,という話にしても,冷静に考えれば変です。あろうことか検索エンジン最適化SEO)などという言葉さえ大流行しましたが,最適化されるべきなのはどっちだ?と,それを言っては・・・的なことを言ってみたくなります。

「いや,そもそも自分が作っているサイトには(自分が書いている日記には)見出しなんか無いよ」という方も多いでしょう。だから基本的にこの話は自分には関係ない,と。
このお話は見出しだけに限定されたものではありません。
自分の行動がツールに合わせて最適化されていないか?というお話です。






©akio ishizuka